第十六話 ハルユタカの登場

「これからは地元の時代」。

 

その気持ちを強くさせたのが、新種の小麦「ハルユタカ」でした。昭和が終わりを告げるころ、ハルヒカリの代替え品種として麺用に開発されたハルユタカ。ところがパンが焼ける注目の品種であることがわかり、江別製粉にとって、また安孫子建雄にとって、かけがえのない存在となっていくのです。

 

常に競争の世界で生きることが、果たして会社にとって意義のあることなのか。小麦業界の行く末に疑問と不安を抱いていた建雄が選んだ道は、地産地消。それは「ハルユタカ」という小麦が与えてくれた、道産小麦への誇りと愛着ゆえの考えでした。それまで軽視されてきた北海道の小麦。それを覆すハルユタカの存在。まだまだ輸入小麦が主流のなかで、国産小麦を見直し、さらには北海道の小麦を極めていくことで、見えてくるものがある。ハルユタカを通じて出会う人々と、足繁く通った農家での経験。小麦を育て収穫し、粉にしてパンが焼けるまで、そこには大勢の人が関わっています。

たった一粒の小麦に、人々を結ぶ力がある。江別製粉という会社は、右から左に粉を挽くだけじゃない。建雄に宿る開拓の精神が、頭をもたげたのかもしれません。「みんな同じような道を歩いているが、どこかの時点で変化に気づくときがある。外からの影響や情報、自分自身で感じる何か。順調なときは何か変化があっても自分とは結びつけず、対岸の火事のように思ってしまう。そこを敏感にキャッチし、疑問に感じたことを変えていく勇気があるかどうか。それがターニングポイントを見極める、社としての私の務め」。その持論を胸に、まるで田畑を耕すかのように新しい分野へ鍬をおろしていったのです。

 

自宅でパンを焼いて欲しいという思いから、自動パン焼き器専用の粉を開発し、販売。同時にフリーダイヤルや日本通運の代引き払いを駆使し、通販も開始しました。ハルユタカを使ったスパゲティや道産小麦100%の商品をシリーズ化し、とうとう関連会社を立ち上げてパンの製造販売までスタートさせます。北海道産小麦の良さを広く伝えたい。そこから地域の魅力も届けたい。製粉会社の枠におさまらない行動が功を奏し、建雄の周囲に同じような願いを持った仲間が集まってきました。

 

平成10年秋(1998年)。道産小麦チホクと同じく道産のビートを使った、「全国焼き菓子のコンクール」を江別で開催。一部の家庭の主婦に認められた道産小麦を、今度はプロの菓子職人に認知してもらうというものでした。これは関係者のみならず、地元の有志が力を合わせ、初めて行った大きな大きな試みとなりました。