第十四話 競争社会への危機感

第一期、第二期と工場が新しくなり、機械を新しくすることで稼働率と生産量をあげてきた江別製粉。未来に向かって大きく駆けだしたと同時に迎えた、オイルショック。世間は小麦不足に喘ぎます。ここは御坊田善雄にとって辛抱のしどころ。もともと頑固で忍耐強い性格ですから、耐えることは得意です。

 

「辛いのは、どこも同じだ。いい粉を作ることに専念しよう」

 

そんな善雄のもとに、心強い人物が現れました。安孫子安雄の長男、安孫子建雄です。建雄にとっても、会社は特別な場所であり、いて当たり前の場所。工場のなかを走り回って、機械を眺めて育った身です。小麦と機械は身近な存在として成長しました。それに実は、千葉の工業大学を卒業する当日に父・安雄の訃報を聞いたのです。周囲の人よりも増して、会社に対する思いはひとしおだったに違いありません。

入社まもない安孫子建雄(写真 前列右)
入社まもない安孫子建雄(写真 前列右)

オイルショックから10年は、同業者との競争に明け暮れる日々でした。負けないためには新しい設備に切り替える。この他社との差別化が、会社を存続するための原動力です。つねに前へ進むことを選び続け、道をつないできた江別製粉に光が差し始めます。「忍耐の善雄、発想の建雄」。この両輪が実を結ぶときが訪れたのです。

 

「このままでは大手との競争にさらされて、いつか立ちゆかなくなる」。建雄の胸に幾度となく不安がよぎりました。世間一般では見向きもされない、小麦。自分たちが精一杯の思いで作った粉が、大事にされない現実を変えていかなくてはなりません。小麦からとれる粉の歩留まりやブレンドの具合で加工量は変化します。1袋25キロの業務用の商品も、他社の新商品を後追いしているようではダメ。もうありきたりな方法では、競争には勝てないのです。危機感を持った建雄が考えたのは「私たちにあるのは、何か」ということ。そう、それは目の前にある商品。自分たちの「小麦」、そして「小麦粉」を見直すことでした。