皆さん、こんにちは
粉屋の安孫子です。
前回は私たち四銃士が生地をこねてパンを焼いていたという、小さな努力の片鱗を語らせていただきました。本当に不思議なことですが、このように家庭用パンミックスの流通が整うのを、まるで待っていたかのようにハルユタカが登場します。昭和63年のことでした。
それまでメーカーや問屋さんに粉を卸すことしかしなかった私たちが、フリーダイヤルと代引き配送という方法を味方につけて、一般家庭の皆さんへ直接販売する…。そのことが、さまざまな副産物を生みました。それは、今まで耳にすることのなかった「主婦の声」。営業の経験しかないようなオジサン四銃士がパンを焼いたかと思ったら、今度は主婦の声に耳を傾けるなど、思ってもいないことでした。しかも意外な言葉が多く寄せられたのです。
「国産小麦はないの?」
確かに当社のパンミックスはカナダ産の小麦粉を使っていました。どうしてそんなに国産小麦にこだわるのか…。家庭で手作りするなら、とことん安全で安心できるもので作りたい。その心の表れでした。
昭和61年(1986年)4月、世界中を震撼させる大事故が起きました。チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故です。その被害は人々の生命ばかりではなく、欧州近隣諸国の農畜産物や食品へも影響を及ぼすとされました。その波紋は日本にいる私たちにも不安を与えたのです。海外の輸入小麦ではなく、国産小麦でパンを焼きたい。少なからずとも、そのような思いが働いたのではないでしょうか? ところが日本では食の安定供給を求め、海外からの輸入加工食品が急増。安価なアメリカ産冷凍食品や欧州の乳製品などが次々と店の陳列棚に並ぶようになっていました。チェルノブイリの不安とは裏腹に、日本はバブル期に突入。海外の品物が重宝され、もてはやされる時代になっていたのです。
しかしそれと反比例するかのように主婦の皆さんからは「国産小麦」を求めるリクエスト。私たちは、北海道産で唯一パンが焼ける品種、ハルヒカリでパンミックスを試作。販売を試みましたがハルヒカリの生産中止が決まり、その代替え品種として登場したハルユタカで商品化したのです。この小さなスタートが、のちの農文協、その後の矢野先生へ次々とバトンが渡るのでした。
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