皆さん、こんにちは
粉屋の安孫子です。
さて、矢野先生のお宅を後にした私は、1斤の食パンを数本抱え、こうばしい香りを漂わせながら電車に乗って帰路につきました。羽田からの飛行機のなかも焼きたてパンの香りでいい匂い…。私の心もホカホカとした気持ちになりました。今まで、見向きもされず価値を認めてもらえなかった道産小麦です。何度も悔しさと諦めの思いを重ねてきました。ところが、パン教室の先生によって太鼓判を押されたのです。大逆転の展開に、まだ温かさの残る食パンを抱きしめ、誇らしい思いで江別に凱旋しました。
早速、首を長くして待ち焦がれている残りの四銃士に食パンを試食してもらうと、みんなが目を丸くして驚き、その美味しさに舌鼓を打ちました。柔らかな食感とムッチリした歯ごたえ、ほんのりのとした甘みと香りが口に広がります。誰からともなく「ほお〜…」という、満足そうな感嘆と「よかったねぇ」という安堵の声がもれました。これはイケる! まったく世界の違う人に初めて認められ、私たちの心はパンのように膨らんでいました。
そこで今度は、農林水産省の農政事務所を訪ね、担当官にも食パンを食べてもらい、ハルユタカの底力を知ってもらうことにしました。もう、道産小麦は美味しくないとは言わせません。美味しくないどころか、どの国産小麦にも負けない味でパンへと変貌したのです。ある意味、担当の所長も部長も道産小麦が肩身の狭い思いをしてきたのをご存じです。このお手柄を心から喜び、ハルユタカを単なる原料小麦としてではなく、貴重な存在として大事に扱い、今後の取引量アップの申し出も全面的に協力してくれることになりました。ぜひ全国にハルユタカの美味しさを知ってもらわなくては!
ハルユタカの実力に背中を押され、自信を持った私たちは胸を張って仕事にとりかかったのでした。
ところで話は戻りますが、昭和60年にハルユタカが誕生して以来、ここに至るまで、私たちなりの努力は重ねていたのです。道産の強力粉として期待していたハルヒカリが生産中止となり、代替え種だったハルユタカ。わずかな望みを託した試行錯誤の大作戦。次回は、ハルユタカデビューの夜明け前とも言える四銃士の陰なる奮闘を振り返ります。
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