みなさん、こんにちは。
粉屋の安孫子です。
さて、ハルユタカが誕生し、その魅力を充分に理解も発揮もできないでいた私たちにとって、思いも寄らぬ世界からお呼びがかかることになっていきます。主婦の皆さんです。粉屋にとって、それは想像もしていないこと。メーカーや卸問屋の皆さんとしか、取り引きをしてこなかった私たちです。いったい、どうしてそんなことになったのか。私たち四銃士?が活躍する話より前に、今回はその経緯をお伝えしましょう。
まるで思いつきのように農文協(農山漁村文化協会)に送ったハルユタカ5キロですが、その後どうなったでしょう。実は、そこにも物語があるのです。私が東京へ出張したおりに、赤坂にある編集部へ西森さんを初めて尋ねてみますと、彼がこう言うのです。「あれは全部、パン教室の先生に直接お渡ししてきました」。え? パン教室? 面食らう私を尻目に「じゃあ、ちょっと先生にようすを聞いてみましょうか」。こう言って、電話をかけ始めました。するとどうでしょう、受話器の向こうで「たった今、パンが焼けたわよ」という明るい声が聞こえたのです。「とってもいい香りよ、早くいらっしゃい」。そのひと言で、私はすぐさま新宿に出て、先生のお宅のある保谷市(現在の西東京市)へと飛んで行きました。
先生のお宅の前に立つと、すでに芳しい焼きたてパンの香りがするではありませんか! 私の心も高鳴ります。ドアを開け、笑顔でそこに立っていたのは矢野さき子先生でした。矢野先生と言えば、「国産小麦は膨らまない」という当時の常識をくつがえし、今でこそ当たり前になった、天然酵母を使い国産小麦で美味しくパンを焼く、先駆けとなった人物です。まさに手作りパンのカリスマ的存在でした。
室内に通されると家庭用のオーブンが4台ほどと焼き上がった食パンが並んでいます。パンなんてイーストくさいものだと思い込んでいた私は、あまりの香りに驚くばかり。そんな私のようすは気にも留めず、先生は矢継ぎ早に質問をしてきました。
「これが国産小麦なんて、ウソじゃないの?」
「本当は輸入の小麦じゃないの?」
「あなたの会社は大きいの? それとも小さいの?」
「どれくらいの量で販売できるの?」
「配送と支払いはどうなるの?」
手作りパンのカリスマは、その眼差しも真剣です。私は一つ一つ、その問いに答えるかたちで、ハルユタカと私の素性をお話するところから始めなくてはなりませんでした。なぜなら先生にとって、パンが美味しく焼けることだけが大事な条件ではなかったのです。果たして私たちは、矢野先生の望む条件を満たすことができるのでしょうか?
次回は、ハルユタカが認められた大切な条件をご紹介します。
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