ハルユタカくん、現る

皆さん、こんにちは

粉屋の安孫子です。

 

 「奇跡の小麦 ハルユタカ」。実は、そう呼ばれることを嬉しく思いつつも、私が感じるハルユタカの意外性は、もう少し違うところにありました。今回は、そのお話をしたいと思います。

 

 昭和が平成へと変わる頃、ハルユタカの名前が世に知られるようになりましたが、その前には、わが国で唯一の強力粉麦に登録されていた「ハルヒカリ」の存在がありました。水田の転作用として細々と栽培されていたハルヒカリ。高タンパクな品質であっても収量が少なく不安定なため、名前のように長くハルのヒカリが差すこともなく、やがては消える運命にありました。ハルユタカは、この改良種として誕生することになります。いわば、急がれた代替え品種だったわけです。

 

ところがこのハルユタカ、麺類、特にラーメンにしたときの色がかんばしくなく、粉屋の立場からは使いにくい小麦として見向きもされない存在でした。

 この頃、私たちが何を考えていたかと申しますと、「家庭用のパンミックス」を商品化することでした。従来ですと、業務用の大量の粉をメーカーとして問屋に卸すだけ。これは大手と同じ販売方法です。「主婦の皆さんが家庭で気軽にパンを焼けたら、どんなに喜ばれるだろう」。私たちは、ただその思い一つでカナダ産小麦をベースにした家庭用パンミックスを販売してみました。すると発売してまもなく、国産の小麦で作れないか? という問い合わせが多く寄せられたのです。とりあえずハルヒカリで試作しようということになりましたが、前段の通り、ハルヒカリは生産中止となる運命。やむを得なく麺用だったハルユタカでパンの試作を始めた結果、思いもよらず美味しいパンが焼けたのです。ハルユタカの生命線は、パンなのかもしれない…。私たちにとって、これが「ハルユタカ=パン」となる、大いなるきっかけでした。

 

 ハルユタカは、本当に不思議な小麦です。何か特別な思い入れや理由があって、出会ったわけではありません。「しようがないから、これにしよう」という人間の勝手な都合のなかで、自らのチカラを発揮し、まるで幼い子どものように人々から愛されていったのです。もし、この小麦の存在を「奇跡」と呼ぶのなら、誰もが注目しないところから脚光を浴びるに至るまでの、ハルユタカの持つ天性の力強さや面白さにあるのではないでしょうか。

 

次回は、いよいよハルユタカが一人歩きを始めて、時代の流れとともに人々が追いかけることになったエピソードをご紹介します。