第三話 希望と挫折の狭間

 江戸幕府の終焉とともに蝦夷に渡った安孫子助右ヱ門は、箱館の港に降り立ち驚きました。伊豆の下田と同時に開港し、10年を経ていた当時の箱館は、白亜の洋館やキリスト教会などが建つ、西洋人も暮らす街だったのです。叔父に同伴し住み着いたのは弁天町一丁目。港からほど近く、数本の坂道が函館山へと続いています。港ではさまざまな荷物が取り引きされ、人々の声が賑やかに飛び交うさまは、新しい時代の幕開けにふさわしい光景でした。

 

 ときに日本は王政復古の号令によって明治新政府が設立され、旧幕臣による戊辰戦争が勃発。箱館においても榎本武揚らが五稜郭に立てこもり、最後の抵抗がなされました。しかし彼らの想い虚しく、箱館戦争の敗北をもって戊辰戦争は終結。箱館は函館へ、蝦夷も北海道と名を改められ、名実ともに明治の世へと時代は移り変わるのです。

 若き日の助右ヱ門は、この動乱と活気のなかで商売のノウハウを磨き、叔父の仕事の手習いをしながら、やがて独立します。それは人々の生活には欠かせない、主に米を扱う穀物商の仕事。そのころの北海道は、まだまだ開墾など進んでおらず、まともな畑も水田もありません。内地から運ばれてくる穀物がみんなの命そのものだったのです。

 

 妻をめとり、子どもも生まれ30代を迎えていた助右ヱ門は、懸命に働きました。ところが、そんな努力も水の泡になるような出来事が一家の身に起こります。幾度となく見舞われた大きな火災でした。明治2年から12年までの間に6度も大火に巻き込まれ、その度にすべてが灰になってしまったのです。特に明治12年の師走に起きた火事は、33町歩2326棟を焼き尽くす甚大なものでした。これらは函館市の公式な消防記録にも残っており、いかに出火数が多かったかを伺い知ることができます。

 

 明治13年5月。40歳となった助右ヱ門は、都市生活での生業に見切りをつけ、ついに札幌郡対雁村、現在の江別市対雁へと移り住んだのでした。