第一話 故郷の名を胸に

 近江の国、安孫子村。日本橋から京都三条大橋を結ぶ中山道六十九次の、六十四宿となる愛知川(えちがわ)のあたりに、その村はありました。今の滋賀県、琵琶湖の東側に位置します。この周辺一帯は、近江商人の里。大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人のなかでも、近江の人々は特に誇り高い商人(あきんど)とされ、利益よりもまず、人徳を重んじることを大切にしたと言います。    

 時は幕末から明治へと移り変わり、日本の何もかもが大きく変わろうとしていたころ。現在の江別製粉の社長、安孫子建雄の曾祖父・村西助右ヱ門は、近江の気風あふれる安孫子村に生まれ、うねりのような変革の風を感じながら育ちました。なかでも国策として開拓が進められた新天地北海道は、ニシン漁を中心とする豊富な水産資源のほか、良質な木材と石炭などの天然資源が眠る宝の山。欧米列強にアジアの小国の一つと思われていた日本にとって、北海道は国を強く生まれ変わらせるための原動力そのものでした。

 

 誰もが夢みる自由と希望の大地、北海道。人々は、新しい仕事や土地を求め、次々と移り住んだのです。同じように助右ヱ門がこの村を後にし、伯父とともに函館へ渡ったのは、幕末期。まさにこの転機こそ、北海道に江別製粉が誕生する第一歩となりました。けれど長く暮らした土地を離れ、まだ見ぬ世界へ赴く心には、望郷の想いが重なります。「北海道に渡れば戻れない。懐かしい我が村を…生まれ故郷を忘れずにいよう」。助右ヱ門は、その一念から安孫子姓を名乗るようになったのです。